その179 満員の講堂で
公演は生徒だけでなく、家族や知り合いや住民が見に来て、
講堂は満員になりました。
竹内演劇研究所の舞台写真を撮っている”安海関二(あずみけんじ)”さんが
記録した写真を一緒にアップします。
先ず、講堂いっぱいに集まった観客の様子です。
普通の劇場の客とは違います。
真っ暗の中で押し出し隊の鉱毒悲歌と足音がだんだん大きくなります。
照明が点くと足踏みしながら歌う隊が前面に現れた場の写真です。
そこに指揮官の声「突撃準備!」
歌声と足踏みが激しくなると
ライトが点いて指揮官の姿が現れ「突撃開始!!」の命令が響く。
前の晩に高熱が出て全身が緩んだ私の体は、自分でも驚くほど固い体になって
あの非情で冷たい声が出せたのですが、それが写真でも分かります。
押し出し隊が無茶苦茶に叩かれ突かれて、舞台の後ろに消えると、
田中正造が現れて、事態を語ります。
正造役は吃音で苦しんでいたM君ですが、
野太い声で長台詞を見事に語り尽くしました。
こうして始まったのですが、
観客が一気に乗ってきたのが分かり私もホッとしました。
舞台と観客が一旦繋がると、芝居は流れるように進みます。
打ち壊しの場では、
位牌に手を併せて詫びる水野彦三郎夫婦と
暴れる息子を必死で止める島田宗三のシーンの写真には
立ち退きを迫る検察隊を、どてら姿の正造が見守っていて、緊張感があります。
水野彦市の娘のりうが、
「だめだ!父が帰るまでは手をつけさせるわけにはゆがねエ!!」
と立ちふさがるシーンでは、
和服を着たりうのタダならぬ気迫と、
心配して立ちすくむ正造の姿が写っています。
間明田千弥老夫婦のシーンでは
「吾ら夫婦は天理に生きる人間なり。
その人間を放り出すという法律があるなら、
その法律にかかりましょう。」と
夫婦が並んで静かに正座して、指揮官が困惑しています。
ラストの前には、「正造は、治水を言うものとなった。」から始まる、
正造の最後の戦いが語られるシーンに、蓑姿の正造が登場します。
田中正造が倒れる最後のシーンでは、
遺体を全員で担いで鉱毒悲歌の最後の歌詞
<トキノセイフハ、ナニユエニ、
カクモワレラヲ、シイタグル>
を繰り返し歌いながら、舞台の正面から降りて、
観客席の真ん中を抜けて、退場します。
実は、このシーンの時、私は一人で楽屋の教室で、
ドーランを落として普段着に着替えていました。
鉱毒悲歌が聞こえなくなって、”終わったなー”と思った時
どたどたッと生徒3人が駆け込んで来ました。
そして「あいつ!どこ行った!?」と怒鳴るので
「向こう行った」と指差すと、そちらへ駆けていきながら
「あのヤロ、ぶっ殺してやる」とこん棒を振りました。
私は、改めて、”ヤッタ!””出来たんだ!”と確信しました。
林竹二先生は、この公演の直後に湊川で「田中正造」の授業をされました。
当時の衆議院副議長三宅正一さん一行16人と他校の教師たちが生徒と一緒に
広い食堂に集まった時の写真を載せておきます。
林先生はこの時のことを
「芝居を見た直後で、その興奮の名残が尾を引いていた。
生徒たちは、なんの抵抗もなく、
田中正造を親しい人として受け入れていた。」と書いています。
そして、授業を受けた40才で1年生の小東さんが
「政治は明治も今も少しも変わっていない」と感想文に書いたと、
記録されています。