その180 最終回 — またお付き合いください
先週は曽於市のプロジェクトについて佳取締役が
スタジオにてお話しさせてもらいました。
そこでもお伝えしたように水物語は6月いっぱい、
この回で一旦お休みをいただきます。
ご挨拶はまた最後にして、
いよいよ湊川で田中正造の生涯を描いた舞台の上演スタートです。
公演当日には生徒だけでなく、
家族や知り合い、住民などが集まり講堂は満員となりました。
竹内演劇研究所の舞台写真を撮ってい
る”安海関二(あずみけんじ)”さんが
記録した写真もホームページに掲載します。
まず、講堂いっぱいに集まった観客の様子です。
普通の劇場の客とは違います。
次の写真は舞台の冒頭。
真っ暗の中で押し出し隊の鉱毒悲歌と足音がだんだん大きくなり
照明が点くと足踏みしながら歌う彼らが現れた場の写真です。
そこに指揮官の「突撃準備!」の掛け声が響き
歌声と足踏みが激しくなります。
照明が灯されるとそこには指揮官の姿。
「突撃開始!!」の命令が響きます。
この指揮官を演じることとなった私の余談ですが
実は前の晩に高熱が出ていました。
これが功をなして当日は自分でも驚くほど硬く、緊張感ある身体をつくれたことで
非情で冷たい声が出せたのですが、自分で写真を見ても伝わります。
押し出し隊が無茶苦茶に叩かれ突かれて、舞台の後ろに消えると、
田中正造が現れて、事態を語ります。
正造役は吃音で苦しんでいたM君ですが、
野太い声で長台詞を見事に語り尽くしました。
この一連までで、観客が一気に乗ってきたのが分かり私もホッとしました。
舞台と観客が一旦繋がると、芝居は流れるように進みます。
打ち壊しの場では、
位牌に手を併せて詫びる水野彦三郎夫婦と
暴れる息子を必死で止める島田宗三のシーンの写真には
立ち退きを迫る検察隊を、どてら姿の正造が見守っていて、緊張感が広がります。
水野彦市の娘の‘りう’が、
「だめだ!父が帰るまでは手をつけさせるわけにはゆがねぇ!!」
と立ちふさがるシーンでは、
和服を着た’りう’のタダならぬ気迫と、
心配して立ちすくむ正造の姿が写っています。
間明田千弥老夫婦のシーンでは
「吾ら夫婦は天理に生きる人間なり。
その人間を放り出すという法律があるなら、
その法律にかかりましょう。」と
横に並んで静かに正座する夫婦の覚悟に指揮官が困惑しています。
「正造は、治水を言うものとなった。」から始まる
最後の戦いが語られるラスト前のシーンに蓑姿の正造が登場します。
クライマックスの正造が倒れる場面では、
遺体を全員で担ぎ鉱毒悲歌の最後の歌詞
<トキノセイフハ、ナニユエニ、
カクモワレラヲ、シイタグル>
を繰り返し歌いながら、舞台の正面から降りて、
観客席の真ん中を抜けて、退場します。
実は、このシーンの時、私は一人、楽屋なっていた教室で
ドーランを落として普段着に着替えていました。
鉱毒悲歌が聞こえなくなって、”終わったなー”と思っていると
どたどたッと生徒3人が駆け込んで来ました。
そして「あいつ!指揮官のヤロウ!どこ行った!?」と怒鳴るので
「向こう行った」と廊下の先を指差すと、
「あのヤロ、ぶん殴ってやる」とこん棒を振りながら示した先へ走って行きました。
私は、改めて”ヤッタ!出来たんだ!”と実感と確信を得たのを覚えています。
林竹二先生は、この公演の直後に湊川で「田中正造」の授業をされました。
当時の衆議院副議長三宅正一さん一行16人と他校の教師たちが生徒と一緒に
広い食堂に集まった時の写真を載せておきます。
林先生はこの時のことを
「芝居を見た直後で、その興奮の名残が尾を引いていた。
生徒たちは、なんの抵抗もなく、
田中正造を親しい人として受け入れていた。」と書いています。
そして、授業を受けた40才で1年生の小東さんが
「政治は明治も今も少しも変わっていない」と感想文に書いたと、
記録されています。
水物語170から続いた林先生と田中正造のお話しはこれで終わりです。
林先生の遺作となったこの講演記録映画も無事に完成し
こうしてみなさんにまたお話しできるものとなりました。
水物語も2020年の11月からはじまり約3年半、
パーソナリティーの木津さん、FMきりしまのスタッフの方々、
そしてなによりもリスナーのみなさんに何よりも感謝とお礼を申し上げます。
今回のお休みの理由は、決してマイナスな内容ではなく
曽於市への出張所の設置や地方への実験や視察などが増えたことで
少し社内が忙しなくなったためです。
この水物語で書いた内容はとても有効な資料となり
私個人だけではなく、会社としても大切な場所となりました。
また落ち着いて書けるようになりましたら
再びみなさんにお付き合い頂きたいと思います。
それではまた。
有限会社シューコーポレーション
惣川修