その177 鉱毒悲歌と川俣事件
明治23年(1890年)の大洪水で
鉱毒の被害が顕在化してから
被害を受けている農民たちは政府に請願のため
東京へ向かい、何度も押し出しを繰り返されました。
そして1990年にはとうとうに警官と衝突し
川俣事件を起こしています。い
「鉱毒悲歌」はその度に歌詞を追加して行進したようです。
歌の正式な題名は 「鉱毒被害惨状の悲歌」 です。
◆鉱毒悲歌
1 そもそも渡良瀬水源は 遠く流れを足尾より
関八州の沃野をば 貫き渡りて六十里
2 機業に名高き桐生町 足利 佐野に桐生町
その他沿岸村々は 皆此の河の賜ものぞ
3 嗚呼我々の祖先こそ 皆渡良瀬の賜ものに
斯くも尊き渡良瀬川 斯くも尊き渡良瀬川
4 頃は明治八九年 古川稼業のその日より
野火煙毒と濫伐に 岩石崩れ砂流れ
5 降る雨毎の洪水は 芝蘆竹や木の根まで
枯れて堤も岸もかけ 今は河身も荒れ果てて
6 少しく水嵩増す時は 両岸つつみは欠け破れ
見渡す限りの良田は 皆毒波に侵されて
7 家屋人畜流亡し 田畑に一穂の稔りなく
家に喰ふの粟もなく 見るも哀れの枯野原
8 濁り濁りて今日はまた 人の体も毒に染み
妊(はら)めるものは流産し 育む乳は不足為し
9 二つ三つまで育つるも 毒の障(さわ)りに皆倒れ
また悪疾も流行し 悲惨の数は限りなく
10 時の政府へ歎願も 悪人輩(ばら)に遮られ
九年の長きこの間 今に清めぬ渡良瀬川
11 時の政府へ歎願も 費用に今は疲れ果て
親子は非命(ひめい)にたおされて 今に清めぬ渡良瀬川
12 時の政府は何故に 斯くも我等を虐(しいた)ぐる
嗚呼我々は身のためと 人の為には死も恐ぢず
13 嗚呼我々は土地のため 国の為には死も恐ぢず
嗚呼我々は憲法を 守る為には死も恐ぢず
14 時の政府は何故に 斯くも我等を虐(しいた)ぐる
早く清めよ渡良瀬川 清めて死人の処置をせよ
※ 早く清めよ渡良瀬川 早く清めよ渡良瀬川
この歌は劇中でも印象的なシーンで使われ、
それは音源ではなく出演者全員で歌いました。
まずは、幕が開いて谷中村の人々が行進して登場するシーン。
照明を灯さない暗闇の中で「鉱毒悲歌」が
遠くから聞こえてきます。
徐々に近づいてくるにつれ、彼らの鬼気迫る様子を表現しました。
そして、ラストの田中正造を見送るシーン。
彼の遺体を残留民たちが担ぎ去っていきます。
この時、舞台正面から客席に降り
真ん中の通路を葬式のように歩いてはけるところでは
12番から最後までを繰り返し歌い、
正造の人生をかけた訴えと壮絶な最期を伝えたのです。