その176 竹内敏晴さんという人
林先生から
「湊川で田中正造の芝居をしないか」
という提案を直接受けたのは竹内敏晴さんでした。
竹内さんは林先生に誘われて
湊川で体のレッスンを教えていました。
竹内敏晴さんについては
「水物語 その140 水へのまわり道 第3章の2」で紹介しています。
林先生の授業撮影前に、
竹内さんのレッスンを受けるよう勧められ
すぐに予約を取り、参加し続けました。
レッスンに参加しているメンバーは、
体と心に目立たないが小さな障害を持つ人々で、
学校の教師、牧師の妻、どもりがある研究者、
日常生活に困難を感じている人などがいます。
彼らはみんな竹内さんの著書「ことばがひらかれるとき」に触発され、
自分の問題を見つけて乗り越えようとしていました。
また「からだとことばのレッスン」を略して
「からこと」の会を結成し、
独自のレッスン会を開催していたのです。
竹内さんの主催する演劇研究所には専属の役者がいますが、
「正造の芝居は『からこと』のメンバーを中心にしよう」と考えられました。
それは林先生の提案の主旨の中に
「谷中の残留民の感情と
湊川高校の生徒の祈りが通じるものがある。
残留民が何をどう考えて暮らしていたかということと
正造がそれとどう向き合ったかということを
舞台で生に感じさせたら、
良い影響が生まれるはずだ。」
という考えがあったからです。
残留民を通常の舞台役者が演じると、
湊川の生徒には見破られてしまうかもしれません。
「からこと」のメンバーならば
共感を得られる可能性があります。
メンバー全員で台本を作り、
自分の役を生きるように演じることにしました。
竹内さんはそのように考え、
湊川にお供をしていた私へ
台本のまとめ役をするようにと言われ
引き受けたのでした。
その頃、高齢の母は入院しており
自宅が空いていたため、
「からこと」のメンバー10数人で合宿を行い、
谷中の残留民に関する歴史資料を回し読みして
シーン別に台本の草案を作成しました。
1週間かかってできた草案を1本にまとめる前に
私たちは遊水地となっている旧谷中村跡地と
残留民の子孫を訪ねるために現地へ足を運びました。
林先生の紹介で、
正造に最後まで仕え、撤収作戦の指揮を執った
島田宗三さんの息子さんに案内してもらうことができました。
なんと彼から撤退時に歌われたという
「鉱毒悲歌 (こうどくひか)」の歌詞と譜面をいただいたのです。
頂いた譜面と歌詞は
完成台本の1ページ目に貼り付けてありますので
写真を載せておきます。
歌詞は、とても長いので次回に
次回、時間が許す限りこれを朗読してもらおうと思います。