その172 田中正造、天皇への直訴
田中正造の天皇への直訴について
林先生は次のように書いています。
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「明治34年12月10日、田中正造は直訴した。
それは議員を辞めるときから、
彼の意中にあったことであったかもしれない。
直訴は、第16議会の開院式の後、
天皇の帰途を擁しておこなわれた。
正造は黒の綿服、黒の袴、足袋はだしで
拝観人の中から飛び出して、馬車に近づこうとした。
警護の騎兵が槍を振りなおして、彼をさえぎった。
田中正造は躓き倒れた。騎兵も馬もろとも横に倒れた。
その間に天皇の行列は「事もなく」通過し去った。
田中正造は、多勢の警官にとりおさえられて、麹町警察署に連行され、
一晩とめおかれた。
政府はその処置に困って、狂人として、早々に彼を釈放した。」
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そして、直訴の直後に妻に送った手紙を紹介しています。
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『正造は今よりのちは、この世にあるわけの人にあらず。
去る十日に死すべきはずのものに候。
今日生命あるは間違いに候。』
かくして、世界のどこでも、かって戦われたことのない、
田中正造の谷中の戦い がはじまるのである。」
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ここから田中正造は谷中村で苦学に入ります。
それはのちに「谷中での9年の苦学」と称されるのですが
そこで何を苦学したのか、
林先生は次のように書いています。
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「彼は、谷中人民によって、はじめて、
まったく非政治的な権力との戦いの可能性を教えられたのである。
政治的には一切の戦う手段も方法もつきたところで、
なお現に谷中で残留民は戦い続けている。
それが人民の戦いであった。
彼はようやく、谷中で戦っているのは、
谷中人民で、田中正造ではないことを肝に銘じて知った。」
「彼がかつて同志と共に展開してきた谷中の戦いの空しさ
まったく的外れで、無意味で、こっけいな、
空騒ぎにすぎないことを明白に確認するにいたった。」
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しかし、田中正造は政治家として、
社会と人民を導く立場で生きてきた人物です。
彼がどのような体験を経てこのような確信に至ったのか、
そしてどのように共に戦うことができたのか。
著書の目次5章に分かれていますが、
その内の3章を使って詳しく語られています。
深くて複雑なその内容はとても要約することはできません。
谷中の残留民の生活や考え方を元に
田中正造と彼らとの関係を綴った戯曲つくりに私も参加して
1979年11月13日に神戸の定時制夜間高校の講堂で上演したのです。
この舞台の詳細については後ほど紹介します。
また、「田中正造の生涯」の初版本が手に入りましたので
HPに写真を載せておきます。
目次
初版本の表紙と裏表紙