その170 曽於市の経過報告と、沖縄での新しい取り組み
文:惣川 佳
前回は、佳社長が去年から担当して進めている
鹿児島県曽於市の「南九州畜産獣医学拠点」での飲水改善事業の
経過報告をしました。
そして今、新しく取り組みが始まったのは沖縄です。
担当している大地取締役がいま出張していますから
その報告が間もなくなされると思います。
さて、私の方は白内障の手術をして
パソコンの文字がはっきり見えるようになり
次は何を書こうかと張り切っています。
これまで「水へのまわり道」と題して
「野生の王国」と「ごみ問題」と
林竹二先生の「人間について」の授業のことを書きましたが
「まわり道」というのは目的があって遠回りすることです。
そういう意味では、水に目的を定めていたわけではなく
ウロウロと次のテーマを必死で探していただけでした。
いま最後であろう「水」にたどり着いてみたら、
やってきた総てが必要な経験だったのだと
思い知ったのです。
そこで思い至ったのが、
「水」とは離れているテーマでも
辿り着くためには不可欠だった
映画とテレビ番組つくりのことを
他山の石として疑似体験して頂ければということです。
まず、最初にお話しするのは、
お亡くなりになるまで教えを頂いた林竹二先生とのことです。
きっかけは林先生の「アマラとカマラ」の授業の中で
林先生から生徒がいる中で私が問い詰められたことです。
その時のことを「水物語」の144回目で次のように書きました。
===
『最後に、どうしても書いておきたい出来事があります。
林先生を私淑するきっかけとなったことです。
「アマラとカマラ」の授業の中で
突然「どうかね、惣川君」と
多数の生徒の前で名指しをされました。
私は立ち上がって「私は狼の勉強をしてきた、、」
としどろもどろに答えると
「本当の人間になる勉強をしないで、狼の勉強をするとああいう人になる」
と言って、授業は続けられました。
いまで言う「いじられた」というわけですが、
この時の私は恥ずかしさというよりも
奇妙な嬉しさがこみ上げて来て
”林先生のこの力は何だ!?”と強く感じました。
あの時が、お亡くなりになるまで私淑(ししゅく)する
”初心”が生まれた瞬間だったと今でははっきり分かります。』
===
1977年の3月、私が39歳の時でした。
その後、沖縄で授業の撮影を行い
三面マルチの上映で全国を廻って、
小学3年生の「ビーバーの授業」で
人間がビーバーと違うのは
「原因を突き止めること」
5年生の「アマラとカマラの授業」では、
「人間は狼の勉強をすると狼にもなれる。
人間になる勉強をしないと人間の化け物になる」
この2つのことが生涯の課題として心と体に浸み込んだのです。
北海道から沖縄まで1か月の
上映ツアーの会場では、
地元の主催者がアンケートを取っていました。
それに現場報告のレポートを添えて
林先生にお送りしました。
時々、人間になる勉強についての
私の幼稚な質問を書き加えたりしました。
そんなツアーを終えて帰宅してみると
何と、林先生から出版したばかりの
新書本が送られて来ていました。
新書本の題名は「田中正造の生涯」
扉ページには
「初一念は神なり
田中正造の語を録す
林 竹二」
の献辞があり「惣川 修様」と書かれていました。
この時、先生は脳梗塞に見舞われて
右手がご不自由なのを知っていましたから
その文字を見て痛く感動したことを覚えています。
写真を載せておきます。
早速、ページをめくると
前書きの2行目でいきなりガーンと頭を打たれたのです。
「田中正造は一般にはほとんど忘れられた人であったが、
今日では彼はひどく有名な人物にされてしまった。
だが、それは公害問題が喧しくなったおかげで、
けっして田中正造が良く知られるようになったわけではない。
そして、小説家や劇作家には取り上げられるが、研究者は乏しい。
これはどうしたことだろうか。」
これはまさにその通りで、
名前と足尾鉱毒事件の聞き覚えはあっても
詳しく指摘されると、ドキッとさせられます。
そのまま夢中で読み進め、終わるや否や先生へ電話をしました。
「今の日本は国つくりの途中で、開国はまだ終わっていなかったのですね。
ほっとしました。」とお伝えすると
「そういう風に読んで頂くのが本当ですね。」
とのお返事を頂きました。
そして、その本当の意味を学ぶ
先生の遺作となる講演記録映画を作るまでの
長いお付き合いが始まったのです。