その103 パリのごみ処理事情③
テーブルの上に広げられた資料は
2500年以上のパリの歴史資料が積まれていました。
道の真ん中に水場ができ、毎朝、道路を掃除する彼がいる意味を
理解するためにはその歴史から知る必要があったのです。
「花の都」と呼ばれ、世界的にも人気の高い観光地のパリですが、
14世紀から17世紀までの300年間に
ペストとコレラのパンデミックが起こりました。
これにより、パリ市民の4分の1が死亡したといわれています。
今では細菌の存在は当たり前ですが、
当時はもちろん誰も知らない時代です。
特に感染が広がったペストは、
ペスト菌を持ったノミや家ネズミを介して人間に感染します。
このノミや家ネズミは不衛生な場所に集まり増殖しますが、
当時のパリには都市衛生の考えがほとんどなく、
街全体がネズミたちの温床になっていました。
特に、驚いたのはトイレなどの汚物や生活用水が流れる下水道は
19世紀末にようやく整備されたというのです。
それまでは、各家庭で出された汚物などを
住民が窓から道路に投げていたのです。
それらは回収されることはなく、
雨にさらされセーヌ川へと注がれていきます。
その時に、下水道の代わりとなっていたのが
道路の中央に刻まれた溝、路上中央溝でした。
(以下参考写真です)
パリ観光サイト「パリラマ」より引用
https://paris-rama.com/paris_history_culture/009.htm
パリの通りにはいまもその路上中央溝が残っています。
路上中央溝は決して清掃されることはなく、
夏には水が澱んで腐り、強烈な悪臭を放っていました。
さらに、街を走る馬車がその水を跳ね上げ
道行く人にその飛沫がかかりました。
この溝は汚物でよく詰まるので、
雨が大量に降ると汚水が溢れだし、
街全体を悪臭で包みました。
また、当時のパリは貧困の差が激しく
その日暮らしの人々も多い街でした。
スラム街で暮らす人々は、手に入れた食べ物や食べかけを
自分の住処にとっておきます。
すると、その食べかけをエサとする家ネズミがやってきます。
公衆衛生観念の低さと長く続く貧困により
パリの街が感染症の巣窟となったのです。
このパンデミックを収束させるため、
様々な学者が集まり会議を開きました。
早急に必要なのは都市部の公衆衛生管理であり
下水道と上水道の大規模な改革が提案されたのです。