村一番の酪農家の跡取りである丑之助さんは
水つくりを使い始めてから「良一が変わった」と話を続けてくれました。
「良一のヤツ、水変わったら
牛が泡吹いているって、飛んできたんだよ。
バカヤロー、それは第1胃袋から第2胃袋に
反芻してんじゃねーか、教えただろ!って
叱ったんだ。
でも、飲み水変えただけで
そんなこと起きるかね?と思ってな」
自分の牛舎にも水つくりをつけてみると
飼っている牛全頭が
良一さんが言っていた通りになり、
さらには
「牛舎全体の臭いがツンツンしなくなった」
と言います。
「俺も北海道で教わってきたんだよ!」
と続ける丑之助さんは
作業小屋から古びた机を運んできました。
「これ、俺の小学校ん時の机。
”丑”って彫ってあるだろ。
通ってた学校が建て替えになって
捨てられるってっから、貰ってきたんだ。」
机と椅子がくっ付いている、
昔の学校でよく使われていた机には
すり減った「丑」の字が彫りこまれていました。
彼は研修時代に指導して頂いた酪農家さんから
「牛のことは牛に聞け」と
最後に言われたことをきっかけに
牛と「面接」することにしたのだそう。
この机を牛舎の真ん中に置き、一頭一頭、
前に連れてきて5分間、
牛の話を聞いてノートにつけているとのこと。
「これがその面接帳だ。」と机の下から
「面接帳」と表紙に書かれたノートを
取り出しめくると
牛の登録番号と名前と生年月日が
ズラっと書いてありました。
「毎月14日を面接の日にして、
午後1時から1頭につき5分と決めて聞くんだ。
50頭いるから4時間ぐらい掛かるんだよ。
たった5分ずつだけど、
その子だけにキッチリ向き合ったこと
なかったろ。
毎月やってると分かるようになるんだ、
その牛が何考えてるか、それを書いてる。
ずっとやってると牛らも分かるらしいよ。
喧嘩しなくなった。
乳も競争で出すようになったし。
乳質もここらで一番だよ。」」
ノートをよく見てみると
名前は全て「女性の名前」で
「百恵」や「郁恵」など
どこか見覚えのある文字が並んでおり
話した内容というのも
女言葉で書かれていました。
「なに?この百恵ってのは?」
「山口百恵だよ、歌手の、有名だろ!」
「郁恵は?」
「榊原郁恵。そいつはだみ声で
ガハハハッて笑うんだよ。」
そんな具合に50頭全てに
名前が付けられており、
アイドル以外には初恋の女の子の名前や
中学校のときの担任の先生の名前もあることも
少し照れながら教えてくれました。
最後に、牛舎裏の堆肥場を見せてもらい
高く積んである堆肥の山にスキを差し込むと
もうもうと湯気があがり、
「フリーストールの牛舎の中敷きを
積み上げただけで
こんなに発酵することはこれまでになかった。
臭くないしな」
と嬉しそうに話してくれました。
「あと、良一はもう大丈夫だ。
こないだも発情がハッキリ分かって
種付けがうまく行ったと言ってきた。
これから餌も良いの買えるだろうし、
牛も増やせる。
もう大丈夫だ!」
私はこの二人のことを何度も何度も思い出しては
この水つくりの技術について
考えさせられるのです。
アフリカのカバと
良一さん、丑之助さんとの出会いは
いまの水つくりをつくるためには
欠かせないものなのです。