次は、5年生への授業。
「アマラとカマラ」と、タイトルがついています。
「アマラとカマラ」とは
1920年にインドのジャングルで
狼とともに暮らしているのを発見された
二人の少女の名前です。
“狼として”育てられた二人は発見した牧師に保護され、
社会に適応するよう”人間として”育てられました。
5年生への「人間について」は
この話が軸となり進んでいきます。
3年生の時、既に「ビーバー」の話を聞いている
生徒たちへ挨拶を終えると林先生はまず
「今日の授業で人間と比べるのは蛙」と話し出します。
黒板に「蛙の子は蛙」と書き
「どういう意味かな?」と尋ねます。
生物学的には蛙の子はオタマジャクシです。
オタマジャクシと蛙はまったく違った生き物で
子であるオタマジャクシは親である蛙に世話されることはほとんどなく
ひとりでに成長し、蛙になります。
林先生は
「人間も同じように『人間の子は人間と言えるか?』
「人間の子は成長するとひとりでに人間になる、と言えるだろうか?」
と子どもたちへ問います。
そうだと言いたいけれど、
なぜだか言い切れないという反応の彼ら。
「実際に有ったことで考えてみよう」と
先生はアマラとカマラの話を始めるのです。
当時、二人は推定8歳と1歳半ほど。
保護したジョセフ・シング牧師によって
年上の少女にはカマラ、妹にはアマラと名付けられました。
アマラとカマラの腰関節は固く、
人間のように二足で立ち上がったり、
歩行することはできず四つ足でしか移動ができませんでした。
お皿のミルクを犬のように口を付けて飲んだり、
生肉を好み、生きた鶏を割いて食べます。
夜になると森に向かって遠吠えをし
人間が近付くと歯をむき出しにして唸って寄せ付けませんでした。
その様子を写真で見せながら先生は続けます。
シング牧師は夫人と共に
二足で歩けるように硬くなった腰関節をマッサージしたり
生肉以外の食事を与えたりと
“人間として”生きられるよう育てました。
しかし、保護から1年ほどで姉のカマラが
死んでしまいました。
姉の死を理解した妹のアマラは
目から涙を一粒流したのです。
その後、アマラは牧師夫妻の
甲斐甲斐しい世話により二足歩行ができるようになり
ついには短い簡単な文を話せるまでになるのです。
教室にはシンとした空気が流れ、
深く集中している子どもたちへ先生は
「どう?蛙の子は蛙と同じ意味で、人間の子は人間と言えるかな?」
と改めて問います。
2本の足で歩くことも、手を手として使うことも、
言葉を覚えて話すことも、
「みんな自分で学んで出来るようになったんだね」
はじまった時と明らかに顔つきが変わった子どもたちへ
微笑む林先生は続けます。
「人間社会で学ぶことは沢山あるが
先生が大切だと思うのは
”美しいものを見たら美しいと感じ、
それに相応しい扱いをすることができること”
”正しいことを正しいと考えたら
その通りに行動することができること”
そのことを具体的に考えておきたいと
人類学者ケーラーの実験の話をします。
その話は次回です。
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