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水物語その125 地域でつくる日本のごみ処理システム

川崎市は、新しく建てたごみ焼却場の隣に温水プールと市民の憩いの施設を作っていました。

今ではどこにでも見られますが、1978年当時は最先端のごみエネルギー利用施設でした。


札幌市は、高層団地との間に公園を挟んでごみ焼却場を建て、発電と地域暖房と給湯を供給するという新しい地域社会を作り上げていました。


大阪の清水さんが管轄する焼却工場は隣にある地下鉄の車輛工場の電力をまかない、温水も供給していました。

そんな清水さんが、一方ではお能のワキ方髙安流の能楽師でもあり、何と清掃工場の中に能舞台を作って弟子の育成までされていました。


工藤さんと及川さんは他の自治体の力を集めて清掃工場の煙突を赤と白に塗分ける法律も改正されていました。

赤と白に塗られた煙突があると

「ごみ収集車の出入りが見えると臭いがしなくても、目が臭いと周辺住民が言うのですよ」

とお二人が口を揃えて言われたのを覚えています。


実際に、川崎と札幌と大阪の焼却場の煙突は赤白ではなく、違和感のないクリーム色に塗られていました。



岩手県遠野市は、人口が2万5千あまりの山間の街です。

ごみも多くないので費用の掛からない小型の焼却炉である「流動床炉」(りゅうどうしょうろ)という新しい技術のごみ焼却炉を取り入れていました。

「流動床炉」(りゅうどうしょうろ)は炉の底に砂を敷いて、その砂を高温に熱し、

下からエアーで焼けた砂を吹き上げて舞い上がらせ、その中にごみを投入して焼却するというものです。

燃えるものは完全に焼却しますので、灰も少なく綺麗です。

日本にはそんな技術が開発されていて、山間の街で導入されていたのです。


群馬県の伊勢崎市は、し尿処理と生ごみ処理に特に力を入れていました。

家庭から出る生ごみはコンポスターという容器を庭の土の上に据えて堆肥にして、

自宅の花壇に漉き込むことを進めていて、

庭のある家には市からコンポスターが無料で提供されており、

市は堆肥の作り方の講習を頻繁に行っていました。

住民にごみについての教育も徹底していて、ガラス瓶・アルミ缶・鉄の空き缶・紙とプラスチックを分けて出すことが既に行われていました。

取材に入った初日に印象に残ったのは、ロケ車で伊勢崎市に入ったとたんに道路にごみがなくなり、道がきれいになったことです。

ごみに対する教育を重ねるとこんなにも景色が変わるものかと思い知らされました。



以上が映画「日本のごみ資源」で取り上げた、その時代の日本のごみ処理先進地域の実例でした。

取材を終えた時、私はとても嬉しく感じていました。


国や法律で定められたルールではなく、それぞれの地域で、その立場に立った人たちが独自にシステムを作り上げている事例が日本でもできていることがわかったからです。

日本の誇りとごみに対する人々の理解が深まることへの期待を込めて、この映画を仕上げました。


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