アメリカでの取材を終えた後は、ロサンゼルス空港から飛行機に乗りハワイに一泊しました。
翌日、ハワイ空港から飛び立った我々取材班は、
1975年11月26日の夜、約1か月ぶりに日本へと帰ってきました。
まだ成田空港のない時代ですので、降り立ったのは羽田空港。
到着口を出ると、プラ協広報委員長の清水さんをはじめ何人もの委員の方が待ってくれていたのです。
予想していない出迎えに驚きましたが、いかにプラ協委員たちがごみ問題へ高い関心を持ち、取り組んでいるのかが伝わってきました。
ごみ処理先進国の実情を記録するという目的のもと、約1か月でフランスのパリ、オランダのロッテルダム、ドイツ、イタリア・ローマ、アメリカ、と5ヶ国を巡りました。
パリとロッテルダムでは都市としての一貫した歴史的取り組みを、
ドイツでは国をあげての問題解決への姿勢を学び、
イタリア・ローマでは民族的習性とも思える情況を目の当たりにしました。
そして、アメリカという世界最大国では
都市としてごみ問題解決へ大きな目標を掲げ計画を進めていると
思いきや、その中身は実現には程遠く、
民間企業に委託する形になっているという
肩を落とさざるを得ない実情を知りました。
帰国した翌日には早速、撮影したフィルムを現像所に送りました。
その長さは約4000フィート。時間にすると約4時間。
撮影に使用した16ミリのネガフィルムからラッシュフィルムを作ってもらいます。
ラッシュフィルムというのは編集を行うためのポジ映像のフィルムのことで、
撮影が終わったままの状態、いわば編集を加えていない素材の集まりのことです。
現像が終わったラッシュフィルムを見ながら編集をして映画が形になります。
この時に作った映画は「ごみと社会」です。
プロット、すなわちあらすじと構成は出国前に決めていましたが、
事前に調査した情報を参考にして作ったものなので
現地に行ったからこそわかる違いや実情が多くありました。
この事実は実際に現地へ足を運んだ飯島さん、青柳さん、堀田カメラマン、そして私しか知りません。
そのため、まずはプラ協広報委員全員にできる限り全ての映像を見てもらい、映画の方向性を改めて議論してもらう必要があると考え、
4000フィートのポジフィルムをまずはヨーロッパ編とアメリカ編に大きく分けて、私たちが見てきた現場の事実がそのまま伝わるように繋ぎました。
繋いだ映像は、2日間に分けて広報委員全員に見てもらいました。
ヨーロッパ編を飯島さん、アメリカ編を青柳さんがそれぞれまとめてくれた資料と一緒に解説をしてくれました。
両日とも午後1時半から始めて夕方6時までかかり、その後もお酒を飲みながら遅くまで議論したことを覚えています。
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