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水物語その119 アメリカのごみ処理事情⑥

翌朝7時に、オーレリイ氏が手配してくれた清掃局の車が、ホテルへ迎えに来てくれました。

私たちが乗り込むと、車は北方の住宅街へと向かいました。


当時のニューヨーク市はごみの収集エリアを3つに区分して定めており、

日曜日を除いた週2回、収集作業が行われていました。


取材をする私たちは、

「ニューヨークならではの収集現場を見たい」

というリクエストを出したところ、

比較的新しいマンション街を案内されました。

車道の両側には街路樹が植えられ、広い歩道に沿って4~5階建てのマンションが並んでいました。

そのマンションの前歩道には、黒いプラスチックのごみ袋の山が人の背丈を超える高さで積み上げられていました。

ごみの山は歩道に沿って、ずっと向こうまで続いていました。


そこへ、日本で見る路線バスほどの箱型のトラックが何台もやってきました。

作業員がトラックから降りると、積み上げられたごみの袋を次々と荷台へ投げ込みます。


この時のニューヨーク市の人口は780万人。

1日に出るごみの量が約2万トン。

一人当たり3.3リットルだと言います。

当時の東京も人口が256万人いましたが、一人当たりの排出量はニューヨーク市の4分の1でした。


黒い山を全て荷台へと積み終わったトラックは一斉に並んで走り出したので、

私たちも車で後に続きました。

案内担当の局員にどこへ行くのかと尋ねると、ごみを船へと積み替えるために船着き場へ向かっていると教えくれました。

到着した船着き場にはこれまた大きな艀(はしけ)が待っていて、巨大なクレーンがトラックに積まれたごみを移していきます。


積まれたゴミは海の向こうに見えるスタテン島へと運ばれるとのことで、局員と一緒に艀(はしけ)に乗り込みました。


スタテン島の船着き場は、島のごみ埋立地エリアの端に位置していて、艀(はしけ)に積まれたごみを再びクレーンが船着場に停まっているトロッコへと移しかえます。

街で見た収集車と同じぐらいの大きさのトロッコが何両も連結され、先頭には凸(デコ)型機関車が繋がっていました。


あとからやってくる何隻もの艀(はしけ)に積まれたごみはどんどん空のトロッコへと積み替えられ、ようやく満杯になると機関車を先頭に走り出しました。

その速度は実にゆっくりで、まるで大事なワレモノをそーっと運んでいるように見えました。

線路はずーっと向こうに伸びていて、遠くに見えた作業中のブルドーザーの近くまで運ばれるのでした。


1時間以上かけて埋立て場に到着したトロッコが一斉に荷台を回転させてごみを落とすのを望遠レンズで確認出来ましたが、撮影はしませんでした。

この島での埋立て方式は、ごみを1mの高さまで入れたらその上に土を1m被せるという方法をとっていて、50年以上前から変わらずに行われて来た、と案内の清掃局員が教えてくれました。

そして、

「この埋め立て地は2000年に満杯になります。その後の予定地はまだ決まっていません。」

と言いました。


気が付くと、時間は夕方の4時になってしまい、予定していた古いごみ焼却炉の撮影は断念することとなりました。

巨大な艀やクレーンの音と大量のごみに囲まれながら海側を振り向くと、

目の前には冬の西陽を受けた自由の女神像の背中が見えていました。


次は、NASAで有名なヒューストン市のごみ処理事情です。

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