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水物語その114 アメリカのごみ処理事情①

振り回された記憶の残るローマの取材を終え、今度は1975年11月9日にローマからアメリカのニューヨークへ向かいました。


出発の2日前。

プラスチック処理促進協会の広報委員である青柳さんがアメリカ取材に同行するためローマへやってきました。それまで飯島さんが書いていた「見聞記」も、アメリカパートは青柳さんが書いています。

最初のページにはアメリカという国に初めて生で接した感想が綴られていますので、まずそれを紹介します。


「9日の日曜日中にニューヨーク空港に着いてワシントンまで飛び 一泊する予定であったがトラブルに見舞われた。ニューヨーク空港が濃い霧のため封鎖になり、我々の乗った飛行機はボストン空港に一時着陸した。

そこで4時間ほど待たされてから離陸して、ニューヨーク空港の上空に着いたのは午後10時。窓の外の何も見えない深い霧を見ているといきなり滑走路が見え、と同時に着陸の強い衝撃が来た。

無事に着陸したことが分かると観客が一斉に拍手をして歓声を上げた。そして口々に機長の腕をたたえて、周りの人同士で平手をタッチし合って喜び合う。アメリカ人の気質を直に感じた最初の体験であった。」


48年前のエピソードですが、今でも“アメリカ人"のイメージは大きく変わらないように感じます。

広大な土地のため、とにかく移動が大変でした。見聞記にも入国から最初の取材地に向かうまでが次のように書かれています。


「到着してから撮影スタッフと映画機材の通関手続きを済ませて空港の外に出た時は真夜中を過ぎていました。仕方なく空港近くの航空客専門の宿に一泊して、翌朝7時のエアーバスでワシントンに入り、最初の取材先のEPA(連邦環境保護局)のアポイント時間午前9時ギリギリに到着することができた。」


様々なトラブルを越えてようやくアメリカ取材は始まりました。

最初に訪れたEPA(連邦環境保護局)は、1970年にニクソン大統領によって設立された国民の健康保護と自然環境保護を目的とする新しい部局です。

当時は、世界的な環境汚染の問題が表面化しはじめた頃で先進国の取り組みに注目が集まっていました。そこで世界のリーダーを自認するアメリカが国の威信を賭けて取り組んで見せたのがEPA(連邦環境保護局)の設立でした。


ごみ問題については6つの「廃棄物再資源化プロジェクト」が既に進行中で、詳細をインタビューする予定でしたが担当者のヒックマン固形廃棄物管理部長は緊急な会議の予定が入ってしまい、代理としてグレイさんという若い部下が説明してくれました。

社会的な意義のある新しい仕事をしているという誇りを感じさせるグレイさんの説明を撮影しながら改めて世界規模で動いているアメリカという国の気概を感じたのでした。

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