top of page

水物語その109 ドイツのごみ処理事情④

前回紹介した、生ゴミから堆肥を作るコンポスト工場は1954年に最初の工場が完成しました。

今から68年も前に現代にも続く処理の形ができていたのです。


また、汚水からメタンガスを発生させる下水処理施設と併せたシステムも1880年に作られています。

その頃の日本は明治13年。個人農家で、堆肥や肥えツボが盛んに作られていた頃です。

決して日本が遅れていたとは言えませんが、社会のしくみとして公共施設を作りごみ処理にあたっていたのは驚くべきことです。


今回はいよいよ3つめ、焼却処理についてです。取材するのは「ノルド・ウエスト・シュタッド焼却工場」です。

フランクフルト駅から地下鉄に約20分乗り、ノルド・ウエスト・シュタッド駅に着きます。

地下の駅から地上へ上がると、そこは高層住宅とショッピングセンターが立ち並ぶ

“街”になっていました。

西側には何棟もの高層住宅、東側には戸建て住宅が広がっていました。

街の人口は3万5000人、戸数は8000戸。

大都市フランクフルトのベットタウンです。


そして、高い住宅群の中からひときわ高く空へと伸びる煙突が見えました。

住宅地の中にごみ焼却工場あるという、当時の日本では考えられない光景でした。

写真を掲載しますのでぜひご覧下さい。

先に作られたのは高層住宅です。

住宅地が完成した5年後の1965年に焼却工場が完成しています。

通常であれば、悪臭や煙の問題で建設反対されることがほとんどですし、実際に日本でも苦情や大規模なデモが起きています。


しかしここのごみ焼却場では独特の悪臭がしません。1日に持ち込まれるごみの量は約1000トンから1400トン。10トントラックで100台以上が入ってきます。


家庭ごみが8割を占める量にもにも関わらず臭いがしないのです。


これは悪臭対策として工場内をマイナスの気圧にし、臭気は焼却ガスと一緒に吸引するという当時では最新の電気集塵装置で処理していたからでした。

この装置のおかげで、ゲートをくぐり工場に近付いても臭いがしないのです。


水物語106で紹介したように密閉型のごみ容器を利用した臭いを広げない収集方法がここでも効果を発揮していました。

工場に運び込まれたごみの内、石や鉄、アルミなどの燃えないものはハイデルベルクの工場と同じ様に機械的に分別されていました。

悪臭だけでなく、排気ガスと汚水処理にも最新の技術を取り入れて、地域の生活環境を厳密に守っていたのです。


ハイデルベルクの学生たちと同じようにこの街でも住民へのごみ関する広報活動がしっかり行われているのが伝わる現場取材となりました。


0件のコメント

最新記事

すべて表示

水物語その158「土と水の自然学」の取材⑫~処理編~

次は、食品加工工場団地の排水処理です。 九州熊本県人吉市にある食品工業団地の看板にタイトルが出ます。 「熊本県人吉市 人吉総合食品団地協同組合」 続いて団地の全景に経過を説明する字幕がでます。 「この団地は1982年に設立され 6社の工場の内5社の廃液を 共同処理しているが、悪臭と 血汁等高濃度廃液及び 汚泥の処分に苦しんできた。 ’86年から内水護博士の指導で 施設を改善、現在では総てが 解決し

水物語その157「土と水の自然学」の取材⑪~処理編~

放流水でイワナが元気に生きているのを確かめた後は 脱水ケーキの堆肥化を見ます。 脱水ケーキとは沈降槽(ちんこうそう)で沈んだ汚泥のことです。 <汚泥脱水装置> 新しい汚泥には既に出来上がっている 堆肥を混ぜて醗酵させています。 その作業を見ながら内水先生は臭いを確認します。 「もう、この段階で臭いはほとんどありませんね」 映像には汚泥と堆肥を混ぜる装置が映ります。 <新しい汚泥の臭いを嗅ぐ内水先生

水物語その156「土と水の自然学」の取材⑩~処理編~

処理編の最初の現場は長野県安曇野市豊科町です。 町を見下ろした全景の映像にタイトルが出ます。 「名水百選の町・豊科では、 家庭に設けた浄化槽の汚泥を 集中処理しているが、その悪臭に悩まされていた。 1984年の秋から内水博士の指導で 施設の改善を行い 現在では悪臭が除去され、 放流水質も向上している。」 そして、 バキュームカーが生活雑排水処理場に入ってくるシーンになり 内水さんがこの処理場を最初

bottom of page