1300年にペストのパンデミックに見舞われたパリは政権が度々入れ替わる動乱の300年を経て1600年のアンリ4世の即位でようやく安定しました。
動乱の中で、ペスト流行の原因は上水道にあるとする学者と下水道が原因であるとする学者が対立したままでしたが、パリの商人の三部会が政権を握った時代に最初の下水道を道路の下に作る案が実行されたと伝えられています。
しかし、10年がかりで道路の地下に下水道が作られましたが、パンデミックは収まりませんでした。
次に、上水道論が取り上げられ上水道をセーヌ川の上流から引く計画が実行されました。
しかし、やはりペストの流行は続きます。
再び、下水道の整備が必要だという意見が強まり広い下水道が整備されましたが、それでもペストは収束しませんでした。
モルドー氏は資料の写真を見せながら
「この時作られた、人が立って歩けるほどの広い下水道がヴィクトル・ユーゴーの小説、レ・ミゼラブルに出てくる主人公ジャンバルジャンが逃げ込んだあの下水道です」
と教えてくれました。
またまた上水道論が取り上げられ今度は、新しい飲み水が必要だという意見から、
セーヌ川のさらに上流から水をひき共同の水場を道の真ん中に作ることになりました。
「その水が、あなたたちが見た道路を洗っていた水道です。」
と写真をいくつも見せてくれました。
「こうして、下水道工事と上水道工事が300年の間に長い時間をかけて3回も繰り返され、パリ市には上水道と下水道が3本ずつできたのです。
それは今もパリの地下に埋まったままで一部はそのまま活用されています。」
とモルドー氏は説明を終えました。
そこまでの詳しい話を通訳を通して2時間以上聞いていた私たちは思わず感嘆のため息をつきました。
「花の都 」と呼ばれるまでのパリの歴史に衝撃を受けていたのです。
モルドー氏は
「さらに詳しく知りたければパリ市大学に入学してください。」
とジョークを言いながらも
「あなた方は、”ごみ問題、ごみ問題”と言って、質問しますが パリ市には”ごみ問題”という個別の考えはないのです。
生活に欠かせない上水道、下水道、ガス、電気、暖房、廃棄物処理、これらは全部繋がっていて一つのカテゴリーなのです。」
「パリ市助役一人である私の仕事は、それら全部をより良くなるように進めることです」
と重い口調で続けました。
私たちはモルドー氏に感謝を伝え、撮影機材を片付け始めました。
荷物もまとめそろそろ出ようとすると、コーディネーターから
「モルドーさんが、あなた方を自宅のディナーに招待したいそうです。」
と伝えられました。
誘いを受けていいものなのか全員で顔を伺いあっているとコーディネーターから
「これは、ぜひお受けましょう!」
と強く押され、受けることにしました。
パリ市郊外にあるというモルドー氏の自宅まで向かう車の中でコーディネーターは
「モルドー氏はあなた方の取材に余程感じるものがあったのですね。もう何年もこの仕事をしていますが、自宅のディナーに招かれるのは初めてです。」
と驚いていました。
モルドー氏の自宅は低い塀に囲まれ、手入れのされた庭があるおしゃれな一戸建てでした。
突然の訪問だったにも関わらず、整頓され、ぬくもりが伝わる食卓でご夫人はディナーを振る舞ってくれました。
人生で初めて食べたエスカルゴとニンニクの香り、それを固いフランスパンに乗せて食べた時の味、
そしてモルドー氏が
「私はパリ市というオペラの舞台監督 ”directeur de stage”(デレクツゥ デ スタジ)なのです!」
と話す楽しげな顔は、今も鮮明に思い出せます。
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