水

​「水つくり」開発ストーリー
水物語その53 ある畜産農家との出会い②

群馬県の山あいにある小さな村の中で

一番小さな酪農家である良一さん。

村の補助を借りて、北海道視察へ行き帰ってきてすぐの翌朝三時。

牛舎の裏にあった空地を整え、

廃材を使い三日間かかえて

牛用のパドックを作りました。

空地の真ん中には木が生えていて、

この木陰を利用して水飲み場を作り

いつでもセラミックの入った水を

飲めるようにしました。

パドックが完成した翌日の早朝。

乳搾り後に牛の口綱を外し、

外を歩かせようとすると

よろけて進むことができませんでした。

尻や足を撫でたり持ち上げたりして、

なんとか5頭全部を陽の当たるパドックに

連れ出しましたが

歩き回ることが出来ず、立ち止まったまま。

そのうちに座り込んでしまいました。

しばらく見ていると、

ある1頭が水の臭いを見つけ

のっそりと立ち上がり水飲み場へ向かい

水を飲んだ後、そばに座り込んだのです。

それを見た他の牛があとに続くように

水飲み場へ向かい、

周りを囲むように座り込みました。

5頭目も同じように歩く姿を見て

「これならばいける」と思い

家に帰るとすでにお昼になっていたそうです。

そんな日が続いた4日目。

まるで歩けなかった牛のある1頭が、

口綱を外すと

なんと自らパドックへ出て行きました。

その1週間後には5頭とも搾乳後に口綱を外すと

自分でパドックに向かうようになったのです。

明らかに牛たちが意思を持って

動けるようになりました。

しかしこれにはひとつ問題がありました。

乳牛として育てている5頭の牛は、

歩き始めてしまうと

採れる乳量が少なくなってしまうです。

また搾った牛乳は組合のタンクローリーが集め、

「体細胞数」を検査するのための

サンプルが取られます。

乳に含まれる「体細胞数」は

牛の健康状態のバロメーターで、

1ccに30万個以上ある場合は

ペナルティが取られ、

10万個以下は褒章が与えられる仕組みです。

良一さんの牛の成績はこれまでずっと

30万個以上のペナルティ組でした。

乳量が減り、

体細胞もこれまでと変わらなかったら

それでなくとも少ない売り上げが減ってしまう。

そのことを家族に指摘された良一さんですが、

「必ず牛が返してくれる!」ときっぱり言ったと

のちに良一さんの妻・富子さんが

教えてくれました。

良一さんの牛を信じる気持ちは

きちんと結果に現れたのです。

5頭の乳牛は体がみるみる丸くなっていき、

毛艶もよくなり、

乳量も増え、体細胞数は10万個以下の

トップクラスにまでランクアップしました。

これは、飲み水にセラミックを吊るしてから

約8ヶ月、

パドックを作ってから

6ヶ月後の結果です。

村をあげての畜産業改革の取り組みを始めて

1年。

村人を集めて報告会をすることになりました。

何と、良一さんが報告者の一人に

選ばれたのです。

実は、良一さんは中卒なのですが、

小学1年の時から

中学卒業するまで学校の成績は最下位。

そして乳牛の成績も同じであったことを

みんなが知っていました。

私は良一さんから頼まれ、

改めて最初からの経過を聞き直し、

400字づめの原稿用紙8枚に

発表原稿を代筆しました。

 

発表の日の朝。

練習がてら良一さんに声を出して

読んでもらうと、

読めない漢字にはルビを書き込み、

良いところでは私へ目で笑い、

会話の時とはまるで比べ物にならない

大きな声で、全て読みあげてくれました。

村人がほぼ全員集まった会場は

常にざわつきのある賑やかな雰囲気で

行われました。

村では有名な大きな酪農家さんから報告が進み、

良一さんが登壇すると

会場のざわつきは少し収まりました。

そして彼が真っすぐな声で読み始めると

だんだんと静かになり、

読み終わった時には会場中から

拍手が沸いたのです。

拍手の中、良一さんは背をピンとのばし、

堂々と袖にさがっていきました。

席で見ていた私の前に座っていたご婦人が

「りょういちがなー」と

タオルで涙を拭いていたのを覚えています。

水に関わりはじめたばかりだった頃の

この思い出は

水のはじまりを教えてくれたアフリカの思い出と同じぐらい大切なものです。