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「水つくり」開発ストーリー
水物語その15 挫折
研究室での実験では期待されていた結果は
得られませんでした。
ところが研究所の庭で実施してみたら、下記のような沈殿物が出来て、残った水からは硝酸体窒素が検出されず、期待通りの結果が得られました。
当時、この原因を色々模索した結果、研究室は建物の5階にあり、地表との距離が12mあるので、結果が違ったのではないかと考えました。
そこで提出した「研究実施報告書」には次年度は研究所の庭で実験を再度させて欲しい、として
実験研究の継続を申請したのです。
沈殿物

下記画像の左の結果は研究所の庭で実験した水の判定結果。無色透明で硝酸が含まれていないことを示している。

研究所に提出した実験報告書

結果は、見事に却下されました。地表からの距離が結果に影響するという私の主張は理解できないというものでした。
実際にはそれまでに装置を設置した現場で、
同じ構造水でありながら
硝酸体窒素の減り方が早いところと遅いところがありました。
当時私はそうした事象に疑問を持ち、
この継続実験で様々な角度から実験を行い、その違いが起る手掛かりを何とか掴もうと考えていましたが、果たせないことになりました。
先にお話した通り、いちごの塩害に対しては
「構造水」が有意に働いたと考えられます。
(水物語13参照)
同じ処理をもう一度繰り返したら、
さらに良い水が出来たかもしれません。
私はこの結果からガイアが作る「構造水」には生物にとって良くないもの、害になるものを析出して取り除く力があるはず、と考えていました。
もし無かったら、生物の世界は続いてこなかったはずですから。
水工学事業協同組合の仕事は続いていましたが、2002年3月に取り組みを一緒に進めてきた
中根理事長が病没されます。
研究所も閉鎖になりかけましたが、急遽、私が理事長に就任することで事業は継続しました。
ラブロック博士のガイア理論が
世界では承認されていても、
日本国内ではまだ認識されていない時代に、
中根滋博士は、いち早く生命体内での
“ものの挙動”の特殊性に着目し
様々な技術開発に取り組まれました。
正に、この分野の開拓先駆者だったのです。
ガイア理論についても良くご存じで、
ラブック博士が提唱する理論を
自分は担っているつもりだと仰っていました。
そんな方を失って私は途方に暮れていましたが、
先生と長年一緒におられた技術エキスパートの
賀沢忠雄さんが力を貸してくれ、
それからの水研究を継続することが出来ました。
ここから、舞台を私の自宅の瓢箪池に移します。この池は私にとって自然の原理を教えてくれる
大切な教師です。
次回は、この池の歴史と、この池が私に教えてくれたことについてお話したいと思います。

